あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない。
エレノア・ルーズベルト
( アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻 )
つい先日、後輩から一つ相談を受けていました。今後の方針に関して上司に相談したところ、相当叱責されたということで、落ち込んでいました。
以前の記事にも出てきた理不尽な上司ですが、その後輩に対して紹介した言葉が上記です。
これは名著7つの習慣の第一の習慣「主体的である」の中に出てきます。
完訳 7つの習慣 人格主義の回復
スティーブン・R・コヴィー (著), フランクリン・コヴィー・ジャパン (翻訳)
何かひどい言葉を言われたり、されたりした時に心が傷つくのは、その言葉や行動が原因なのではなく「その言葉や行動によって、自身が傷つくことを許可した自分」が原因であるということなのです。
例として夜と霧の著者であるヴィクトール・フランクルの体験が紹介されています。彼はホロコーストの激しい迫害の中で、ナチスの兵士でも奪うことのできない、外部からの刺激に対する選択の自由を発見します。
夜と霧 新版 単行本 – 2002/11/6
ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田 香代子 (翻訳)
ぜひこの部分は7つの習慣か、夜と霧を読んでいただきたいと思います。
同じことはアドラーも言っています(むしろ7つの習慣の元になったと言われています)。ベストセラーになった「嫌われる勇気」の中で、「あなたの不幸は、あなた自身が『選んだ』もの」の箇所に書いています。
ただ、これは一朝一夕にはできません。何か自分に取って不都合なことが起こった時、「自分ではなく他人や周囲の状況のせいだ」というパラダイムに陥っている人には、なかなか受け入れがたいものがあります。
かくいう私も毎回主体的に反応できるわけではありません。
しかし、人生を生きていく上で自分以外に責任を求めると、いつまでたっても状況は良くなりません。刺激に対して「自分はどう反応すべきか、自分が変えられるところは何か、受け入れるべきところは何か」を考える習慣をつければ、自分の主体性が育ち、自分も変わり、周りも変わっていきます。
実のところ、周りが変わっているのではなく、周囲の状況に対する自分の反応が変わっているのです。
ということで、後輩には「気分によって言うこと変わるから、気にしなくていいよ」と言っておきました。少しは助けになったでしょうか。
コメント