先日、ふと久しぶりにビートルズ The Beatlesを聞いてみた。中学生の時に衝撃を受け、アルバムはほぼコンプリートした。当時ビートルズにハマっている中学生なんて相当珍しかっただろう。
いま聞いても歌詞やリフ、コード進行、ベースの動きやリズムなど新たな発見があり、やはり彼らは只者ではない…
彼らが活躍していた時代はいわゆる「一発録り」も行われ、ほとんどライブ感覚で聞ける楽曲も多い。完成度の高さに「え、これ一発録りなの!?」と驚いていた。
完成度は高いが、無論リズムや音程のズレはある。
ビートルズの時代と比較し、現代の配信される楽曲はほぼ完璧だ。言い換えると、不自然なまでに「きれい」なのである。音を外すこともないし、それぞれの楽器の音量やリズムなど、完璧である。何度も録音し直したり、エフェクトをかけて修正しているのだろう。
それはそれで良いのだが、あまりに完璧すぎるのはどうなのだろう。
ファイナルファンタジーの楽曲を手掛けている植松伸夫氏が、ファイナルファンタジーVIのオリジナル・サウンドトラックのCDブックレットに、面白いことを書いている。
コンピューターと人間どちらが完璧かということになると、間違いなくコンピューターであるといわねばならないでしょう。
(中略)
でも完璧な音程とリズムによるコンピューターの音楽を実際に聴いてみるとどういった印象を受けるでしょうか?
残念ながら、それは以外にも全く面白みのないシロモノなのです。
例えば10人のヴァイオリン奏者が全員で440ヘルツの「ラ」の音を弾くとします。いくら上手な人が揃っていたとしても、全員で完璧な440ヘルツの音程をしかも同時に出すことは不可能ですね?人によっては1~2ヘルツずれていたり少しフライングしたり出遅れたりしている。しかしそれで良いのです。いや、音の豊かさや厚みを増すために、リズムに生き生きしたうねりを与えるためには、そうでなくてはいけないのです。
(「以外にも」は原文ママ)
1994年1月22日 植松伸夫
完成を目指さなくて良いわけではない。インタビューの後半で氏は「完成度という部分で妥協をしない」ことも述べている。
完成を目指しつつ「完璧ではない人間である」ことで味が出て、奥ゆかしさが出る。演奏の技術力がないのは論外だが、タイミングがズレたり、音が外れたり、その時のフィーリングでアドリブを入れて良い。
録音技術が発達し配信サービスが充実しても、ライブに行きたくなるのは、その雰囲気を全身で感じられること以外に、「録音時のような完璧さはないが、生き生きしたその場の躍動感ある音」を聞きたいからではなかろうか。
実生活や仕事の面でも完璧を目指さなければいけない雰囲気を感じる。少しぐらいズレてもいいじゃないか。
最近、THE FIRST TAKEという、アーティストに一発撮りで楽曲を披露してもらうチャンネルがあるのだが、なかなか面白かった。やはりライブは良いですね。
完成を目指しつつ、もっと肩の力を抜いて遊べ。
FINAL FANTASY VI Original Sound Track Remaster Version
植松 伸夫 形式: CD
上述のサウンドトラックのCDブックレット、その他にも面白いことが書かれている。興味のある方は読んでみていただきたい。
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