【徒然】完璧すぎるのも考えもの

先日、ふと久しぶりにビートルズ The Beatlesを聞いてみた。中学生のときに聞いて衝撃を受け、アルバムはほとんどコンプリートした記憶がある。20年前当時、ビートルズにハマっている中学生なんて相当珍しかっただろう。

いま聞いても歌詞やリフ、コード進行、ベースの動きやリズムなど新たな発見があり、やはり彼らは只者ではないな…と思わされる。

彼らが活躍していた時代はいわゆる「一発録り」も行われていて、ほとんどライブ感覚で聞ける楽曲も多い。完成度の高さに「え、これ一発録りなの!?」と驚いていた。

完成度は高いが、もちろんリズムや音程のズレはある。

あの時代と比較して、現代の配信される楽曲はほぼ完璧だ。言い換えると、不自然なまでに「きれい」なのである。音を外すこともないし、それぞれの楽器の音量やリズムなど完璧である。何度も録音し直したり、エフェクトをかけて修正しているのだろう。

それはそれで良いのだが、あまりに完璧すぎるのもどうなのだろう。

ファイナルファンタジーの楽曲を手掛けている植松伸夫氏が、ファイナルファンタジーVIのオリジナル・サウンドトラックのCDブックレットに、面白いことを書いている。

コンピューターと人間どちらが完璧かということになると、間違いなくコンピューターであるといわねばならないでしょう。

(中略)

でも完璧な音程とリズムによるコンピューターの音楽を実際に聴いてみるとどういった印象を受けるでしょうか?

残念ながら、それは以外にも全く面白みのないシロモノなのです。

例えば10人のヴァイオリン奏者が全員で440ヘルツの「ラ」の音を弾くとします。いくら上手な人が揃っていたとしても、全員で完璧な440ヘルツの音程をしかも同時に出すことは不可能ですね?人によっては1~2ヘルツずれていたり少しフライングしたり出遅れたりしている。しかしそれで良いのです。いや、音の豊かさや厚みを増すために、リズムに生き生きしたうねりを与えるためには、そうでなくてはいけないのです。

(「以外にも」は原文ママ)

1994年1月22日 植松伸夫

完成を目指さなくて良いわけではない。この後のインタビューでも、氏は「完成度という部分で妥協をしない」ことも述べている。

完成を目指しつつ「完璧ではない人間である」ことで味が出て、奥ゆかしさが出る。演奏の技術力がないのは論外だが、タイミングがズレたり、音が外れたり、その時のフィーリングでアドリブを入れても良い。

録音技術が発達し配信サービスが充実しても、ライブに行きたくなるのは、その雰囲気を全身で感じられること以外に、「録音のときのように完璧ではないが、生き生きしたその場の躍動感ある音」を聞きたいからではなかろうか。

実生活や仕事の面でも完璧を目指さなければいけない雰囲気を感じる。少しぐらいズレてもいいじゃないか

最近、THE FIRST TAKEという、アーティストに一発撮りで楽曲を披露してもらうチャンネルがあるのだが、なかなか面白かった。やはりライブは良いですね。

完成を目指しつつ、もっと肩の力を抜いて、遊んでよい。

FINAL FANTASY VI Original Sound Track Remaster Version
植松 伸夫  形式: CD

上述のサウンドトラックのCDブックレット、その他にも面白いことが書かれているので、興味のある方は読んでみていただきたい。

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