いやなことがあったとして、楽しむのが無理でも、学びと捉えて、おもしろがることはできる。
松浦弥太郎(文筆家)
先日妻とケンカしてしまいました^^; 原因はいろいろあるのですが、子育てに関して、私の言い方が癪に障ったのが一因でした。
私はどちらかというと、のびのびと育てられてきたタイプでした。3人男兄弟の長男で、自分が思ったことは素直に述べて、弟や父母もそれを一旦は受け入れてくれて、ディスカッションする家族でした。
もちろんそれでケンカや言い合いにもなりましたが。
長男なので我慢していた部分もありますが、自分で納得しないと例え父母から言われたことでも「それは違うんじゃないか」と反抗することもありました。
育てられた環境のせいか、物事や自分のことをポジティブに捉える方です。
妻は全く逆で、父母から言われたことはすぐにYESと言っていたようです。厳し目に育てられたようで、人に頼らずに自分一人でやるようにと言い聞かせられたようです。
どちらかというと「これが出来ていない、あれが出来ていない」と育てられ、物事をネガティブに捉えがちです。
私の中では妻を否定するつもりはまったくないのですが、言い方の中から「自分は子育てが出来ていない、だめな母親だ」というふうにネガティブに捉えたようで、ケンカしてしまいました。
結婚して数年ですが、徐々に彼女の性格や育てられた環境が私と真逆だということが分かってきました。
はじめは「全くそんなつもりはないのに、この言葉でなぜそこまでネガティブな解釈になるの??」と意味不明でしたが、そういうパラダイムがあるからなのですね。
気づくまでは大変でしたが、育てられた環境でここまで変わるなんて、興味深かったです。
これからは、妻に対してはなるべくポジティブな言い方にしたほうが良いのかなと思っています。
上記の言葉はそんな折に思い出された言葉です。全文は以下。
いやなことがあったとして、楽しむのが無理でも、学びと捉えて、おもしろがることはできる。たとえば、出された料理がおいしくなかったとして、どう食べるかは自分で決められます。「まずい、まずい」と不平を並べながら食べるか。「珍しい味だ」とおもしろがって食べるか、「なぜ、こんな味なんだろう?」と興味を抱いて食べるか。おもしろがるというのは、その経験を自分でコントロールする万能の調味料のようなもので、料理でも、仕事でも、本でも、人づきあいでも活用することができます。
松浦弥太郎『即答力』より
結局同じ事実であっても、捉え方によって傷つきもするし、学びにもなります。
現在、私の人生史上でも類を見ない理不尽な上司がいて大変なのですが、最近は「こんなに理不尽な人はそうはいない。これはおれの人生の中でも貴重な経験じゃないか。将来、理不尽な人に会ってもこの経験を活かせるのでは」と思ったりしています^^;
個人的に辛い経験があったときは、上記の言葉とともに、一旦自分の感情を横において、少し客観的に見ることが重要と考えています。
大変なことがあっても、振り返ればそれは私達の血となり肉となっています。
避けられないのであれば、おもしろがっていきましょうかね。
コメント
[…] 特に大変そうだったのは妻でした。以前も書いたように、パターナリスティックに叱られて、ある意味素直だった妻は、親から言われたことは無条件に受け入れて言うことを聞いていた […]
[…] 以前の記事にも出てきた理不尽な上司ですが、その後輩に対して紹介した言葉が上記です。 […]